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2007年12月01日

浮世絵の歴史

浮世絵の歴史のまじめな話。実は知らないことばっかりでした。


文化4年から安政5年ごろまで。 喜多川歌麿の死後、美人画の主流は渓斎英泉が描くような官能的な色っぽい美人に移っていく。

勝川春章の門人、葛飾北斎は旅行ブームに伴い『富嶽三十六景』を手がけ、それが元で歌川広重 によって『東海道五十三次』が刊行された。この二人によって浮世絵における名所絵(風景画)が発達した。

役者絵では歌川国貞が師匠歌川豊国の流れを受け継いで、力強い役者絵を手がけた。

また、草双紙で伝奇ブームに伴い、歌川国芳などによって武者絵が描かれるようになる。 歌川国芳の『水滸伝』シリーズは当時人気を博し、水滸伝ブームがおこる。

嘉永6年刊行の『江戸寿那古細見記』に「豊国にがほ(似顔絵)、国芳むしや(武者絵)、広重めいしよ(名所絵)」と書かれた。


終期


黒船から、異人文化に興味を持った人々によって、横浜絵が流行する。

明治維新によって混乱した国内で歌舞伎や見世物でグロテスクなものが登場し歌川国芳の門人月岡芳年と落合芳幾によって『英名二十八衆句』がかかれた。これは無残絵と呼ばれる種類のものであり、血みどろで残酷な場面をかいた。

また、河鍋暁斎のような狩野派の画家から浮世絵を描くものも登場する。

小林清親は光線画と呼ばれる輪郭線を使わない新しい風景画を手がけた。

歌川芳藤は子供のための玩具絵と呼ばれる、今で言う紙でできた付録のようなものを浮世絵で手がけ、その工夫がうけて玩具絵専用絵師として活躍した。「おもちゃ芳藤」とまで呼ばれた。

次第に、浮世絵は写真などの技術によって次第に衰退していく。浮世絵師は写真に対抗し、工夫したが多くのものが失敗し、転向を余儀なくされた。

そんな中、月岡芳年は繊細で西洋風の絵柄で錦絵新聞や数多くの歴史画、風俗画をてがけ、「最後の浮世絵師」と呼ばれるようになる。また、弟子には積極的に浮世絵以外の絵を学ばせたため、鏑木清方のように多くの門流が挿絵画家や、日本画家として大成し、浮世絵の伝統は他のジャンルへと受け継がれていった。

また浮世絵の木版多色刷り技法を活かした作品を多数残した画家に川瀬巴水らがいる。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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